数学や物理から、何か人生観のようなものが得られることがある、と言ったら、奇をてらっていると思われるだろう。
数学や物理について考えているとき、あるいは、数学や物理の本を読んでいるとき、そのようなものがふわっと現れる。ただ、それがどんなものであるのかは、観念として頭の中にはあるものの、抽象的すぎて言葉で説明することができない。 例えば、砂川重信の『理論電磁気学』や佐武一郎の『線形代数学』などの本で、行間にそういったものを感じ、心うたれることがある。もちろんこれらの本は物理的数学的内容も骨太で奥深く、それは私にとって面白くかつ難しいものであるが、さらに、世界観や人生観といったようななにかを、これらの本から感じることがあるのだ。 ----- そして小説などを読んでいるとき、ふと、あれはこういうことだったのかなと思う。 『海辺のカフカ』からその部分を引用しよう。 この本は、私の子どもが 15 才のとき、主人公が自分と同じ年だからと買ってきて「面白いから読んでみて」とすすめてくれた本である。私は、登場人物の大島さんに惹かれた。以下は大島さんのセリフである。 小説家って言葉の魔術師のようだ。なんて上手に言葉を使うのだろう。 こうして言葉になってもまだ抽象的だが、方向性がみえてくる。この抽象的でふわふわしたものを、頭のひきだしのどこに入れたらよいのか、見当をつけることができる。そもそも私の頭の中は、私の部屋と同様にして、雑然としすぎているんだ。 #
by mtbkaoru
| 2019-03-25 15:54
| 数学
数学をしていて(日常生活においても同じことが言えるが)、全く関係なさそうに見えるものが結びつくとおもしろいと感じる。
オイラーの公式が最も美しい公式のひとつだと言われるのも、この為だと思う。指数関数(2×2×2×2×… のようなもの)と三角関数(直角三角形の辺の比)とが結びついたのだから、すごい。本当にすごい。 ========================== オイラーの公式 より、 なので、このふたつの式を足したり引いたりして、 と表せる。 これらの式から虚数単位 i を取ってしまって、新しい関数を作る。 sinh をハイパボリック・サイン、 cosh をハイパボリック・コサインと読む。 同様にしてハイパボリック・タンジェント tanh は、 となる。これらは双曲線関数と呼ばれる。 ============================ 双曲線は一般に (ただし a,b は定数) という式で表す。(高校数学 III 2次曲線に書いてある。) また双曲線は、媒介変数 t を用いて、 と表せる。これが双曲線関数と呼ばれる所以である。 実際これらの式を x^2/a^2 - y^2/b^2 に代入して計算してみると、 となり、確かに上の双曲線の式と一致する。 ==================================================================== ==================================================================== つぎに、a = b の双曲線、すなわち漸近線が直行している双曲線 を π/2 ラジアン(45度)回転させてみよう。 ================ 回転行列 を使う。(『加法定理2』を参照。 行列がわからなければ、複素平面上での回転と考えてもよい。) 回転の結果得られる曲線を C とする。曲線 C 上の点の座標 (x,y) は、 となる。 よって曲線C の媒介変数表示は、 である。このふたつの式から t を消去すると これは反比例の式である。 つまり、反比例の式は双曲線の式でもある。 x-軸と y-軸を漸近線とする双曲線だ。 この計算結果自体は当たり前のことかもしれない。 けれども、これらの計算を通して、双曲線、行列、反比例、媒介変数、オイラーの公式などバラバラに教わっているものが、それぞれ関係しあっていることがわかって、私はおもしろいと思うんだ。 #
by mtbkaoru
| 2019-01-29 14:33
| 数学
前章で定義した事柄を使って
下図のように、半径 1 の円に内接する正 m 角形を考える。ただし、m は 3 以上の自然数とする。 正 m 角形の一辺 AB と円の中心で作る三角形 AOB について考える。 すると、点 A、B 間の最短経路が直線 AB なので、 (直線 AB の長さ) < (弧 AB の長さ) である。また (内接正 m 角形の周の長さ) = m × (直線 AB の長さ) (円周) = m × (弧 AB の長さ) なので (内接正 m 角形の周の長さ) < (円周) 前の章で書いたように、円周は、円周を無限に分割したときの、無限に小さな弦の長さの和なので、m を大きくすると多角形の周の長さは円周に近づき、 lim_(m→∞) (内接正 m 角形の周の長さ)= 円周 となる。 足りないところはあるけれど、基本的で直感的にわかりやすい事柄のみを使って、議論できたと思う。どうだろう。 ——————————– 足りない所としては、まず、円周を等間隔に m 等分したが、任意に分割すべきかもしれない。そして分割された弧の長さの最大値がゼロになるように、極限まで分割する。 任意の内接凸多角形から出発し、そのような分割を繰り返すと、どのような内接凸多角形から出発しても、分割する度に多角形の周の長さは増加するが、円周の長さを越えることはない。上限が円周の長さである。 でも、よく考えると、「円周の長さ」を「内角が無限小の扇形の弦の長さの和」と定義した時点で、sin x → x(x → 0) とならざるを得ない気がしてきた。 本当はどうすべきなのか ··· やはり面積を比べるのが正しいのか ··· わからない。 #
by mtbkaoru
| 2017-08-02 14:30
| 数学
三角関数の極限、
三角形 OAB の面積 < 扇形 OAB の面積 < 三角形 OAC の面積 という大小関係を使う。 高校生の時、これがどうしても気持ち悪かった。どうして気持ちが悪いのかも分からなかったし、数式も正しいので納得しようと努力したが、取ってつけたような、ごまかされたような感覚がまとわりついて、困った。 本当のところ、扇形(あるいは円)の面積は、上記の三角関数の極限を使って導出するので、扇形の面積を使って三角関数の極限を出すのは、論理的におかしい。 納得できないのは、当然だ。 高校生の自分に対して、納得できるような答えを示したいが、できるだろうか。 初めに弧度法(ラジアン)での角度を定義する。 ラジアンをはじめて教わったとき、また新しい単位か、とうんざりした。平方メートルにアール、立方メートルにリットル等々を思い出したんだ。 でも角度をラジアンにすると、例えば、ネイピア数 e と円周率 π との間には、e^{iπ} = - 1 というシンプルな関係が成り立つ。(オイラーの公式でθ = π とおく。Euler’s Formula の章を参照。) また、今から導出しようとしている極限も、角度がラジアンのとき 1 になる。 だから、角度をラジアンで表現することは、人間の都合ではなく、自然界において無理のないやり方なんだと思う。 微積分の世界では、なめらかで連続な曲線の長さについて考えるとき、その曲線を無限に分割し、その分割された曲線ひとつひとつの弦の長さの和を、曲線の長さであるとする。 そこで、円周の長さを、その円を無限に分割した扇形の弦の長さの和であるとしよう。 弧 AB に対する弦は直線 AB である。 円を分割した扇形のうち、あるひとつの扇形 OAB について考える。 三角形 OAB は二等辺三角形であり、OA と OB は円の半径である。 半径が r 倍になると、三角形は相似なので、弦も r 倍になる。弦の長さの和が円周だから、半径が r 倍になると、円周も r 倍になる。 したがって円の半径(あるいは直径)と円周の長さは比例する。 円の直径と円周の比は、紀元前から学者たちが計算してきたが、どうしてもキリのよい数にならず、無理数になってしまう。 円周は直径の 3.14159265358979 · · · 倍 = π 倍 である。 ネイピア数 e = 2.71828 · · · と同様に、自然界の不思議としか言いようがない。 半径 1 の円の円周は 2π である。 この円を、中心 O を通る直線で半分にすると、半円の弧の長さも半分の π となる。 円を 1/4 にすると、扇形の内角も 1/4 、弧の長さも 1/4 で 2π/4 = π/2 となり、 1/8 にすると、扇形の内角も 1/8 、弧の長さも 1/8 で 2π/8 = π/4 となり、......。 扇形の内角の大きさと弧の長さが比例することから、角の大きさを、半径 1 の扇形の弧の長さで表現する。 これが弧度法、ラジアンである。 オイラーも『オイラーの無限解析』(高橋正仁訳、海鳴社)で、角度 zラジアンのことを『(半径 1 の扇形の)弧 z 』と書いている。 (つづく) #
by mtbkaoru
| 2017-07-28 11:00
| 数学
村上春樹の「雑文集」(新潮文庫)に、彼がエルサレム賞を受けたときのスピーチが載っていた。「壁と卵」という題名だ。いろいろとあったらしく、彼の文章にしては、ストレートな熱意を感じる。(いつもは控え目に恥ずかしそうにほのめかすことが多いように思う。)その中で、小説家について次のように書いている。
「小説家はうまい嘘をつくことによって、本当のように見える虚構を創り出すことによって、真実を別の場所に引っ張り出し、その姿に別の光を当てることができるからです。真実をそのままのかたちで捉え、正確に描写することは多くの場合ほとんど不可能です。だからこそ我々は、真実をおびき出して虚構の場所に移動させ、虚構のかたちに置き換えることによって、真実の尻尾をつかまえようとするのです。しかしそのためにはまず真実のありかを、自らの中に明確にしておかなければなりません。それがうまい嘘をつくための大事な資格になります。」-------------------------- これを読んで、物理や数学も同じかもしれないと思った。 以前「エネルギー保存則と運動量保存則」のところで、ボールと地球を古典力学的仮想世界に持っていったが、これもまた、真実を虚構の世界に移動することであった。 そうして、そのままでは見ることが困難な場所に光を当てる。 小説は小説の、物理は物理の、それぞれの光の当て方があるが、どちらも「虚構のかたちに置き換えることによって、真実の尻尾をつかまえようと」しているのだ。 言葉も、使い方を間違えれば、人を欺いたり翻弄したりすることができるが、物理や数学も、使い方を間違えれば、多くの人を殺すことができる。 おいしい料理を作るのによく切れる包丁が必要だが、間違った使い方をしてはいけない。 「真実のありかを、自らの中に明確にしておかなければなりません。」 というのは難しいことだけれど、忘れないようにしよう。 私が物理や数学を勉強していて感じるのは、人間を含めたこの自然界の美しさ、と同時に、自分自身が無知で無能なことではあるのだが。 -------------------------- 「もしここに硬い大きな壁があり、そこにぶつかって割れる卵があったとしたら、私は常に卵の側に立ちます。」という言葉を村上春樹は頭の壁に刻み込んでいるという。 「どれほど壁が正しく、卵か間違っていたとしても」彼の小説を読んでいて共感できるのは、彼がいつも弱い方の側に立ってくれるからなんだろうな。 #
by mtbkaoru
| 2017-07-02 15:47
| 物理
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